ぶらり大阪・春物語 |
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商いの町ならではの賑わいと歴史ある文化の香りを訪ねて、北へ南へ | ||||||||
大阪市の東南部に位置し、現在市内で一番人口の多い区として屈指の住宅地でもある平野区。ここでは、戦国の頃から、地域住民による自治活動が盛んで、旧跡などの保存も意欲的に行われています。 そして、大阪の街並みの変遷が体感できる北区・天満橋「住まいのミュージアム」へ。今回は、大阪の過去へタイムトリップできる場所を散策してみました。 | ||||||||
戦火を逃れた平野界隈は街全体が博物館 | ||||||||
![]() 全興寺内にある「小さな駄菓子屋博物館」。手打ちのパチンコ台で遊ぶことができます。 ※「町ぐるみ博物館」の開館日・時間はそれぞれ異なります。問い合わせ先(06)6791-2683 |
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古くから都がおかれた関西は、政治や商いの中心として栄えた地域でもあり、京都や奈良に代表されるように歴史のある寺社やそれらを中心とした門前町などが今でも数多く残っています。 大阪では、難波の南に位置する平野界隈もそのひとつです。大阪の都心へのアクセスがいい人気の住宅地でもありますが、あちらこちらに昔からの建物が現存していることは、あまり知られていないかもしれません。 平野区平野上町にある「大念沸寺」もそのひとつです。これは平安時代の1127年(大治2年)聖応大師が建立したもので、本堂は木造の建物では大阪府下最大。5月1〜15日には「阿弥陀経万部会」が開催されます。 このあたりは大阪の中でもかなり早くから開けたところで、戦国時代は、町民たちが町を運営する自治都市でした。安全のために、町の周囲を二重の濠で囲み、その濠の間に10数ヵ所の木戸口がおかれ、町への出入りはすべてこの木戸口から行われていました。平野公園内には、現在、「平野郷樋尻口門跡」の碑があり、当時をしのばせてくれます。自治都市という恵まれた環境のおかげで、商人たちは富を貯えることができ、それらの富で文化の発展にも貢献したそうです。戦災を免れた町は、平安時代やそれ以前の旧跡・遺跡などを残しつつ、新しい街との融合を果たしています。 昔の街並みをそのまま残す平野では、『町ぐるみ博物館』と銘打って、古い商家や古くからこの地で商売をしている店舗など15か所が、それぞれユニークな私設ミュージアムを開くという自治活動をしています。 豪農としてこの地で栄えた辻元家は書の道具や什器など、辻元家所蔵の昔の生活道具が展示される「くらしの博物館」に。また、炉端割烹「がんこ平野郷屋敷」として、タイムスリップしたような雰囲気の中で食事が楽しめる人気のグルメスポットにもなっています。 聖徳太子によって建てられたと伝えられ、平野発祥の地と言われている「全興寺」。ここには「小さな駄菓子屋さん博物館」があり、昭和20〜30年代に駄菓子屋さんに並んでいたおもちゃや看板などを見ることができます。 重厚な洋館「小林新聞舗」は、創業が明治22年の大阪市内で一番古い新聞販売店であり、「新聞屋さん博物館」でもあります。明治からの新聞、号外などが展示され、当時の社会風俗などを垣間見る事ができる興味深い博物館です。 この平野では今でも、自分たちで独自の文化を創っていく、という意識が脈々と受け継がれているようです。 | ||||||||
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昔の大阪が再現された北区・天満橋「大阪くらしの博物館」 | ||||||||
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![]() 江戸時代の大阪の街並みが実物大に再現された 「大阪くらのしの今昔館」9階の「なにわ 町家の歳時記」 |
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