かつては海外へ輸出されていた有名な茶の産地
 神戸市民はもとより、全国から観光客が訪れる人気の「神戸市立王子動物園」。周囲は閑静な住宅地が広がり、都心のベッドタウンの趣きたっぷりです。この動物園より北西、摩耶山に至る道の途中に、神戸唯一の茶園「静香園」があります。
 神戸市中央区割塚通から灘区原田通にかけての地域は、明治の中ごろ、有名な茶の産地だったそうです。この地域の土壌が水田や果樹園には適さなかったため、茶葉が広く栽培されるようになったようです。当時、京都・宇治などの西日本で栽培された茶は、神戸港から海外に輸出されており、神戸の茶もまた重要な輸出品として、神戸港の輸出額の多くを占めたこともあったそうです。ところが、明治の後半にアメリカで製茶輸入税の影響を受け、輸出はどんどん少なくなり、茶畑があった場所も市街地へと姿を変えていきました。
 1976年、阪急春日野道駅にある大日6丁目商店街で茶の販売を営む、前裕司氏が、無農薬・有機栽培の茶を作り始めたのが、前述の「静香園」です。ここで栽培された茶葉は新茶の時期に大日6丁目商店街のお店で買うことができます。
「神戸市立王子動物園」の近隣には、かつて「原田の森」といわれ、緑豊かな地域だったそうです。1889年にアメリカから来た宣教師のウォルター・ラッセル・ランバスにより、この地に関西学院が設立されます。その後、アメリカの銀行家ジョン・ブランチの寄付により、礼拝堂が建てられました。関西学院が1929年に西宮市に移転後は、1950年の神戸博覧会の展示館、王子図書館などとして時代ごとにさまざまな目的に使用されました。建物の損傷が激しくなったことを受け、1991年から修復工事がスタート。古い写真などを参考に、戦災で失われた尖塔や窓ガラスのぶどうの模様などが再現され、趣きのある姿を取り戻しました。現在では「王子市民ギャラリー」として、展示室が芸術作品の発表の場として広く利用されています。


明治・大正に次々と-大阪〜神戸間の鉄道が開通
 現在、神戸と大阪を行き来する足として利用されている鉄道をはじめ、神戸を走っていた電車の多くが路面電車だったことをご存じでしょうか。阪神電鉄は1905年に大阪〜神戸間が開通したそうです。
 1910年には現在の神戸交通局により、春日野から兵庫駅前間に路面電車が走り始めました。やがて、1930年代には路面電車の路線は次々と姿を消して行ったそうです。阪急電鉄が十三〜神戸間に路線を開業したのは、1920年だそうです。これらの路線のおかげで大阪や神戸・三宮への通勤が便利になり、沿線が住宅地として開発されました。また各電鉄の沿線は、郊外の行楽地としての開発が進み、海水浴場や遊園地が次々に誕生していきました。
以来、現代に至るまで神戸の鉄道沿線は関西はもとより、他府県から転居してくる人々にも、人気の高い住宅地です。
阪神・淡路大震災後、-東部副都心の街が誕生
 1995年、阪神・淡路大震災に見舞われた神戸は、その後めざましい復興を遂げました。阪神春日野道駅より海側に位置し、大震災後に生まれた街「HAT神戸」もそのひとつです。HATとは、Happy Active Townのそれぞれの頭文字をとって作られた造語で、一般公募により決まったそうです。1998年6月に街開きをしたこの街は、神戸市の東部副都心計画のシンボルとして位置づけられているとか。メインストリートの南のセンター地区には、「兵庫県立美術館」、「人と防災未来センター」など、市民が気軽に利用でき、学べる施設もあります。海沿いには2.5kmの散歩道「ハーバーウォーク」が設けられているほか、2001年には「なぎさ公園」も完成するなど、海に面した心地よい癒しの空間がいっぱいです。
 2006年2月には、神戸空港が開港した神戸市。三宮からポートライナーに乗れば、そのまま約18分ほどで神戸空港に着くという好アクセスを誇ります。神戸空港は、開港後3ヶ月半6月末時点で旅客数は100万人をこえ、神戸は新たな飛躍の時を迎えていると言えます。
 そんな神戸の中心地にほど近い場所にありながら、歴史や文化の香りを感じさせ、また、下町の温かい雰囲気もあるのが、阪急春日野道駅周辺です。駅の改札を出ると、北側や南側のどちらにも商店街がにぎわいをみせます。大震災の後、地域への貢献を考え、いち早く再開した大安亭市場をはじめ、いずれも地域に密着した温かみのある商店街です。
 神戸・三宮から、阪急神戸線、阪神本線で東へひと駅の春日野道。途中下車して立ち寄りたい、魅力的な街です。