船場から南西に行くと、大阪随一の繁華街に位置する心斎橋筋に出ます。江戸時代の文献にも、その地名が見られることから、心斎橋筋のルーツは、江戸時代初期にまで遡れるそうです。 当時、道頓堀に芝居を見に来る人や、今宮戎への参拝客が通る道筋であったことから、店が並び、にぎわいが生まれたと言われています。
心斎橋という地名は、1622年ころに架けられた橋に由来します。橋の場所は、現在で言うと御堂筋と長堀通が交わる「新橋」交差点よりひとつ東の信号の横断歩道部分です。 江戸時代、大阪の物流を盛んにした長堀川開削事業に係わった一人、美濃屋の岡田心斎(おかだしんさい)が中心となり架けた橋の名が、心斎橋だったそうです。そのときの橋は木製で、長さ約35m、幅約4mだったと伝えられています。 当時、大阪の橋は「町橋」と言い、町人が費用のほとんどを負担し架橋、管理していたそうです。
明治時代になると、心斎橋はドイツから輸入された鉄製弓形トラス橋に架け換えられました。橋のデザインが橋脚なしに川をまたぐ様式で、その頃には珍しい橋だったため、心斎橋は一種の観光名所として話題となっていたようです。
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