神戸・三宮の間近に位置する歴史と文化の香りただよう新開地界隈を歩く
 
ぶらり兵庫・冬物語 No26

湊川神社
  ▲湊川神社は「なんこうさん」の愛称で親しまれる、神戸を代表する神社。
      境内にある宝物殿では楠木正成所用と伝わる鎧や太刀なども見ることが
      できる。

 
チャップリンも訪れた神戸随一の繁華街だった
 
 神戸・三宮から阪急電車・阪神電車に乗って約8分ほどで「新開地」駅に到着します。戦前は、神戸一の繁華街として知られ、その当時は「西の浅草」とも呼ばれていたそうです。
  新開地の歴史は、明治時代から始まります。かつてはここに旧湊川が流れていました。たびたび氾濫を繰り返していた旧湊川が、1896年に記録に残る大氾濫を起こし、それを機に河川の付替え工事が行われることになりました。1897年から4年の歳月をかけて、旧湊川は西に掘削された新しい川筋へ移動しました。このとき、川筋の途中に会下山があったため、わが国初の河川トンネルの工事が行なわれました。これが、湊川隧道です。延長600m、幅7.3m、高さ7.7mの湊川隧道はその当時、世界最大級のスケールを誇る大事業だったそうです。1995年の阪神・淡路大震災後、新湊川トンネルが建設され、その歴史に幕を閉じた湊川隧道ですが、月に1度開催される一般公開で、その内部を見ることができます。
  旧湊川の付替え工事により、広々とした河川敷となった新開地は開発が進み、相生町にあった「相生座」の移転後、劇場や映画館、芝居小屋が軒を次々と軒を並べ、やがて神戸随一の繁華街へ。なかでも有名だったのが、東京の帝国劇場を模して1912年に造られた「聚楽館」でした(跡地は現在アミューズメント場)。その当時、正月三が日に約40万人が新開地を訪れたという記録も残っているそうです。また、喜劇王チャールズ・チャップリンが1936年に来日した際、新開地に見学に来たというエピソードからも、その繁栄ぶりがうかがえます。
楠木正成像
  ▲湊川公園にある楠木正成の像。周囲には季節の花などが
      配され、地域の人びとの大楠公への愛着がうかがえる。


歴史的な行事から音楽イベントまで市民が集う街
 

 「新開地」駅から歩いて15分ほど、JR「神戸」駅からは北へ3分ほどのところに湊川神社があります。 地元の人々からは、親しみをこめて「楠公(なんこう)さん」 「なんこはん」 などと呼ばれるこの神社は、楠木正成(くすのきまさしげ)を祀る神社です。  1336年新たな武家政権を開こうと、九州より大軍を率いてきた足利尊氏との戦に破れた楠木正成が命を絶ったのがこの地だったそうです。 湊川神社の門を入って右手に、大楠公(だいなんこう)の墓所があります。

 17世紀末になり、荒廃していた墓所に、水戸光國(みとみつくに)が石碑を建立したそうです。その後、大楠公の功績を後世に伝えるという明治天皇の命により1872年、湊川神社が創建されました。

 2002年5月には、17年ぶりに「楠公武者行列(なんこうむしゃぎょうれつ)*1」が復活。兵庫県知事が楠木正成に扮するなど、甲冑姿の騎馬武者などが巡行する華麗な時代絵巻がくりひろげられる神戸の風物詩となっています。

  「新開地」駅から北へ徒歩5分、神戸市営地下鉄「湊川公園」駅すぐそばには、広々とした「湊川公園」があります。ここは、かつて、”東洋一“とうたわれた「神戸タワー」があったそうです。1924年に建設された「神戸タワー」は、高さ約90mで、当時の神戸市街が一望できたそうです。その後、1968年に解体されるまで、新開地のシンボルでした。現在は、「神戸タワー」の記念碑として、高さ8mの「カリヨン時計塔」が建てられています。

 湊川公園は、毎年5月に開催される「新開地音楽祭」のメイン会場となり、音楽イベント以外にも縁日や屋台などが楽しめ、多くの人で賑わいます。

湊川公園
 ▲季節の花が咲き、大型遊具なども整備された「湊川公園」は近隣住民の
     憩いの場となっている。
カリヨン時計塔
          ▲湊川公園の入口に建つ「カリヨン時計塔」。かつて、"東洋一"
              とうたわれた「神戸タワー」を模して造られたという。
 *1) 1874年に初めて開催され、1965年までは毎年開催。1966年より、一時中断され、その後1985年に実施されて以降は中止
      されていた。

文化・芸術の本拠地となる「アートなまち」づくりを
 
シンボルゲート「BIGMAN」
▲新開地のシンボルゲート「BIGMAN」。全国から公募した中から選ばれた作品を建築。 


   1993年には「アートなまち」実現に向けた「新開地デザインタウン宣言」がなされました。それにともない、地元住民・専門家・神戸市で構成された「建築デザイン委員会」が建築設計活動を支援する「建築デザイン誘導制度」を発足。これは、街並みの統一感を重視することよりも、アートな街づくりを視点に入れた建築物を造ることにより、個性的で魅力的な街づくりを…という考え方に基づいているそうです。

  1995年の阪神・淡路大震災では、新開地も被災しましたが、震災復興と合わせて、「アートなまち」づくりに向けた動きは、本格的に進んでいます。「かつての文化・芸術の本拠地としてのイメージを現代的なスタイルでこのまちに復活させ、発展させよう」という「アートビレッジ構想」に基づき、震災後には「神戸アートビレッジセンター」を開館。多彩な演劇人による演劇の上演や映画祭などのイベントが開催され、新開地の活性化の一翼を担っています。

 個性的な建物やオブジェに彩られた新開地は、文化の香りと、そこに関わる人びとのポジティブなパワーが感じられる素敵な街でした。